「ジャパン・ブルー 青に囲まれた衣生活」特別鑑賞会
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7月22日(土)、雑誌「美しいキモノ」主催の藍染の鑑賞会があったので参加した。
これは、共立女子大学博物館が今月31日まで行っている標記展覧会を、博物館の館長 長崎巌先生の講義付きで観賞しようという催し。
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先生のお話は、「美しいキモノ」No. 260 pp.84-88 とほとんど同じ内容。
ジャパンブルーと称されるほど、藍は日本で親しまれてきたが、初めから、現在の発酵建てによる染め方がされていたわけではなく、藍の青に黄蘗(きはだ)の黄色を重ねた青緑色に摺染していたのではないかと、古くからの文献から考えられるという。藍が染に役立つ植物として注目されるようになり、やがて蓼藍が染色に優れていることが分かり、発酵建てによる染色が一般化していったとのこと。
しかし、発酵建てのメカニズムが解明されず、また温度制御が難しかった時代には、藍染は非常に難しく高価な染め物であった。
最も藍染めが普及したのは江戸時代である。発酵建てのメカニズムが解明され、藍甕の温度制御ができるようにりなると、工程の再現性が格段に上昇し、安く染められるようになった。そしてその技法が伝搬し、交通の発達によって原料が全国に供給されるようになると、庶民の手に届くようになった。
また、そのころ木綿の国内生産も盛んになり、藍が木綿に非常によく染まるという相乗効果によって、藍染の木綿製品が染織品の大きな部分を占めるようになったというようなお話だった。
江戸時代に広がったという話は、田中優子先生の、「江戸時代は第1次グローバリゼーションが完成した時代だった」という話が思い出された。
少し前に、インドの藍染の話を聞いたことがある。藍の種類は違うのだが、やはり甕で発酵させていた。木綿も染色の技術も中国やインドから日本に入ってきて、日本の職人たちがその技術を取り入れるために盛んに研究を重ねた。藍染もそんな時代の成果なのではないだろうか。
そういえば、NHKの大河ドラマ『女城主 直虎』では、直虎が自分の領民たちを豊かにするために、綿花の栽培に力を入れる話がでてくる。
歴史というのは、人々の生活の中で流れていくものなのだと思う今日この頃。
ところで、長崎先生の講義では、貴重な藍染の資料を手に取って見られる機会を与えてくださった。
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