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放送大学『日本語リテラシ―』

放送大学の『日本語リテラシー』という講義が面白いので、録画をして見ている。

第3回は「和事と漢語と外来語」。日本語にはこの3つの語種があり、それぞれが使い分けられているという話。

「月曜日は月見そばの日」などという張り紙が、蕎麦屋にあったとき、
日本語で育った人なら「月曜日」と「月見」を結びつけるロジックを用意に理解できるが、この張り紙を他の言語に訳した時に、その言語を母語に持つ人たちには意味が通じない。

例えば韓国語には、「月曜日」は월요일、「月見」は달맞이
「月」という字は 월(ウォル)と発音する漢語だけれど、韓国語の月見には、「つき」に相当する달(タル)が使われて、漢字を当てることはない。「月」=「ゲツ」=「つき」という対応付けを受け入られない。

一方、日本語は「月」という漢字(文字)を音として受け入れるとともに、その意味を和語(大和言葉)の「つき」に翻訳して、訓読みした。「月」=「ゲツ」=「つき」を受け入れられるのは日本語Native の証なのだという。

ところで、日本語に占める漢語の割合は非常に多い。国語辞典の収録語の約半分を漢語が占めるそうだ。大きな要因は、西洋の概念や用語を片っ端から日本語に置きかけたことだという。「社会」、「個人」、「自然」、「権利」、「自由」、「恋愛」などなど。

漢語は意味の輪郭が明確で、和語は意味のぼやけたあいまいさを含むとともに、やわらかな印象がある。アカデミックな文章には漢語が多用されて、何か堅苦しくも厳格さがあるような気がする。

一方、作家の書く文章には、漢語と和語と外来語の語感の違いをうまく利用した作品があるという。その例として吉本ばななの「キッチン」が取り上げられた。

冒頭の「私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う」に始まって、主人公がいかに台所に愛着を持っているかが語られ、「台所」という言葉が何度も出てくる。ところが「台所」以外の言葉を使って同様のものを表現しているところが2カ所ある。

1つが「厨房」。一人きりの肉親だった祖母が亡くなり、祖母と住んでいた家を引き払い、帰りのバスで見た光景に号泣したとき、「厨房」から漏れてくる賑やかな音を聞いて、「神様、どうか生きてゆけますように」と心に誓う場面。

もう1カ所は、この物語の最後の部分。
「夢のキッチン。
私はいくつもいくつもをれをもつだろう。心の中で、あるいはみっさいに。~私の生きるすべての場所で、きっとたくさんもつだろう。」

「キッチン」という小説は、喪失から再生への物語だ。

和語の「台所」は祖母と暮らした主人公の記憶の歴史であり、地味で古風な生活の体感を表現し、漢語の「厨房」は機能を堅く表現する。そして外来語の「キッチン」は、未だ来ぬものとして書かれているという。

滝浦真人先生によれば、「(最後が)「台所」ではなく「キッチン」である理由は、「キッチン」という語の中身がまだ”空”であるからだろう。それは再生によってこれから、満たされる場所だからである」ということだ。

そんなふうに、外来語には何か新しさを感じさせる。最近は、日本語にない概念をうまく表現できずにもとの言葉の音をそのままカタカナにしてしまうことも多いけれど、メディアが使う場合は、新しいものという印象を与えるため使うことも多い。

小池百合子が多用するのも後者の理由。「東京アラート」も。

「キッチン」にもどる。吉本ばななは海外でも人気の作家なので、当然翻訳本も出ているだろう。例えば英語翻訳版では、「台所」と「厨房」と「キッチン」とは、いったいどう訳し分けられるのだろうか。同じ”Kitchen”では、作者の意図が完全には伝わらないのではなかろうか。これは何としても英語翻訳版を手に入れてみようと思う。

      

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