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「京都・智積院の名宝」展

ながもち屋さんが査定してくれている間に、サントリー美術館で「京都・智積院の名宝」展を鑑賞した。


京都東山にある、真言宗智山派の総本山である智積院が数百年にわたって守り受け継いできた名宝が寺の外に勢ぞろいするとの触れ込みのせいかとても混んでいた。


見どころは長谷川等伯一門によって描かれた金碧障壁画群なのだけれど、興味深かったのは、この障壁画群が智積院にあるのかという、その経緯だった。


智積院は、室町時代中期に、当時、修行僧の額級の場として隆盛していた紀州の根来寺山内に創建されたそうだ。現在の京都の地は徳川家康から賜った寺領である。


根来寺が隆盛を誇っていたころに勢力を広げていたのが豊臣秀吉(このころはまだ豊臣姓ではなかったかも)。根来寺は、紀州攻めに出た秀吉と対立して焼き討ちに遭い、智積院も消失してしまう。


一方、天下人となった秀吉は、世継ぎとなる長男をわずか3歳でなくしてしまい、その菩提を弔うために壮大な伽藍を持つ祥雲禅寺を建立し、室内を絢爛豪華な障壁画で埋め尽くした。その障壁画こそが、今回の展覧会の目玉である長谷川等伯とその一門の手による障壁画群である。


ではなぜ、現在は智積院にあるのか?


再興を目指していた智積院は、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康から寄進を受け京都で再興を果たす。権力が徳川に移り豊臣家が滅びると、主のいなくなった祥雲禅寺も家康から譲り受けたのだそうだ。


そして、室内を飾っていた障壁画もそのまま智積院に引き継がれたということ。権力の趨勢とか時代背景とか、様々な歴史の綾のなかに芸術も存在するというわけだ。



画像は、フォトスポットに置かれていた、長谷川等伯の国宝「楓図」のうちの2面の模型。


智積院は学問の場ということもあり、宗派を問わずに様々な名品が残されている。江戸幕府と密接な関係があったため、歴代の有力者たちから寄進された作品も多いということで、その経緯を記した寺宝目録などというものも展示されていた。


また、近代の京都画壇で活躍したという土田麦僊や堂本印象の障壁画も展示されていた。堂本印象の「婦女喫茶図」は、長谷川等伯らの障壁画の影響を受け、西洋の近代絵画の影響をかない受けたいるようで、私、ちょっと好きかも。


今度、京都に行った時には、堂本印象美術館を訪ねてみようと思った。


余談だけれど、Wikipedia によれば堂本印象は、はじめ西陣織の図案描きをしていたそうだ。


会期は今月22日まで。


因みに、この日の装いには西陣織の袋帯。



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