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第3回「こがねい春の能」へ

観世流能楽師で、期待の若手と勝手に私が押している川口晃平さんが主宰する「こがねい春の能」を観に小金井宮司楽器ホールへ。

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能楽堂ではなく一般のホールでのお能だ。シテは舞台に柱がないと舞えないので、代わりにガラスの柱が3本だっていた。屋根もないので空間が広いく舞台がとても大きく見えた。ガラスの柱から反射する光が効果的。壁には松はなく、橋掛かりにもない。ガラスの柱だけの舞台で仕舞が2曲と狂言「清水」。能が始まると龍と柳の幕(?)が3枚静かに降りてきて、正面に掛けられる。松の代わりだろうか。

この舞台はアーティストの阿部朱華羅さんによるものだそうだ。

演目は「隅田川」。子供を人さらいにさらわれた母親が、京からはるばる東国武蔵の国の隅田川まで息子を探してやってきて、その地で息子の死を知るという、世阿弥の息子、観世元雅の作品。能の演目の中で
能の中で最も悲しい曲だと、晃平さん。

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息子の死を知った女が、その子の眠る塚で子を弔うシーンの演出がなんともよくできている。女が悲嘆にくれながらも念仏を唱えていると、地謡とともに子どもの謡も聞こえてきて、やがて塚の中から子(子方)の亡霊が姿を現す。女が抱きしめようとすると消えてしまう幻に、一層悲しみが増す中、やがて夜が明けて亡霊の姿も消えてしまう。

このシーンをめぐっては、世阿弥と元雅とで論争があったそうだ。わざわざ子供を出さないほうがいいという父に、元雅は、いやいや出した方がいいと。どうしても出したかった元雅は父の反対を押し切ってしまう。

確かに、出さなくても母の悲しみは十分伝わるのだろうし、今でも、子を出さない演出もあるそうだ。でも、子を抱きしめようとして近寄ると、腕をすり抜けてしまう幻を何度も追いかける母の姿に、母の深い落胆がよく伝わり、一層悲しみを誘う。

シテが付ける「深井」という面もまた効果的。晃平さんの体から醸し出される悲しい雰囲気とも相まって、顔を伏せると泣いているように見えた。

とても素晴らしい舞台だった。来年の「こがない春の能」も期待したい。

 

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