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能楽『杜若』のお話

伝統文化交流協会が主催する「味方玄の能楽ちょっといい話」という会が時々ある。今回は「杜若」。季節的に選ばれたということもあるけれど、7月に味方さんが主催するテアトル・ノウでご自身が舞われる曲の紹介という意味もあるのだろ。テアトル・ノウのチケットをすでに先行予約している私としては、公演前にぜひお話を伺いたい。ということで会場の清澄庭園まで出かけた。

『杜若』は『伊勢物語』第九段の歌を題材にした曲だ。
  からころも(唐ころも)
  き(着)つつ馴れにし
  つま(妻)しあれば
  はるばる来ぬる
  たび(旅)をしぞ思う

能の作品には、無念に死んでいったものの恨みや葛藤など深刻なテーマを扱ったストーリー性の高いものが多いのだけれど、この「杜若」はただの舞踏と歌曲のような作品。ストーリーによって感動させるのではなく、歌や舞によって芸術性を発揮しなければならないというころだろうか。だから、十分に修練した熟練の役者でないと面白くない。

今回の「ちょっといい話」は、味方さんが舞う映像を観ながらクセ舞の部分を中心としたお話。いつものようにお衣装の実演も。

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参加者の質問で、例えば業平とか高子の妃とか杜若の精とか、誰の気持ちで舞うのか、という質問に、「何も考えずに舞います。見る方に感じてほしい」と味方さん。その答えに、質問なさった方は理解できないとおっしゃっていたけれど、何年も時を重ねて身に着けた芸の、その究極の舞の一挙手一投足に意味を超えた何かを感じてもらいたいということなのだ思う。

それで、ふと気づいた。日本舞踊を習っていると、師匠に、だれだれの気持ちで踊れ、とよく言われるのだけれど、それは初心者へのアドバイスなのだ。誰かの気持ちになって踊るのは、それは自己満足の踊り。つもりになっている誰かに見えるように踊るまでの域に到達するのも大変なのだけれど、それを超越して、無心に踊って観る者を感動させられるのが一流ってことなのだろう。

会場の清澄庭園は、晴天の涼やかな風に、杜若ではなく菖蒲の花が咲いていた。

 

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