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いまさら……なのだけど、一応記録として長崎報告

87日から3日間長崎で開催された原水爆禁止世界大会・長崎に参加してきました。

世界が「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ための新しい一歩を踏み出したことを実感したかったこともありますが、人々が核の恐ろしさを身近に感じ、放射能被害を自分のこととして考えるようになり、原発の問題にどう向き合うかも大きなテーマとなるだろうと思い、参加しました。

開会総会は熱気に溢れていました。国連の潘基文事務総からメッセージを寄せられました。「原水爆禁止世界大会に参加されているみなさんに、連帯を表明する機会をいただき嬉しく思います」という言葉で始まったメッセージは「この大義のために、みなさんをパートナーとしてともに活動できることを誇りに思います」で結ばれていました。事務総長代理として大会に参加したセルジオ・ドゥアルテ氏の「核兵器に関わる決定が、大国の少数のエリートの懸案事項ではなく、国連に加盟する国と国民がかかわるようになった」というスピーチは感動的でした。




8月7日 開会総会


2日目、私は「放射能汚染 被害地住民はどうたたかったか」という分科会に参加しました。この分科会では、原爆症認定訴訟の弁護士、福島原発事故被害者、ロシアのプルトニウム製造工場事故被害者、アメリカの核実験による核被害者などがパネリストとして被害の実情、運動の現状などを報告しました。
 
はじめに、原爆症認定訴訟東京弁護団の田部知江子さんから、広島・長崎における被曝の実態がわかっていないというのだという報告がありました。世界中で放射線防護基準の元になっているデータが、兵器としての原爆の評価を行うためのものであったため、広島・長崎の原爆による正確な被曝線量を把握していないという話は、私には衝撃でした。

永続的な被害をもたらす兵器は使ってはならないという国際法の観点から、原爆は後に影響を残さないものとして扱われたこと、調査が人を殺戮するための兵器としての効力を調査するために行われたことなどから、初期放射線だけが評価され、その後の残留放射線や、残った放射性微粒物質が体内に取り込まれて起こる内部被曝はないものとしてあつかわれたというのです。そして、原爆認定訴訟における国の主張は、そのような欠陥のある調査データをもとにしたものだったと。

 

8月8日(2日目)分科会
 
長崎に落とされた原爆を製造したワシントン州ハンフォードの爆弾工場の風下で生まれたトム・ベーリーさんは、「私は怒っています」という言葉で切り出し、彼が受けた被害の実態を生々しく語りました。
1940年代、トムさんの家から5キロ風上にあったハンフォード核兵器工場から故意に大量の放射線が放出されました。お母さんの最初のこどもは死産で、奇形があったといいます。翌年、2人目の子どもとして生まれたのがトムさんでした。彼の祖父母は全員がんで死にました。彼の父は肝臓がんで死に、母と妹たちもがんになったそうです。牧場で生まれた牛の6割にひどい奇形があったといいます。国は被害の実態をずっと隠したまま、密かに影響を調査していたそうです。80年代に入り周辺住民自身が、みなさまざまながんや先天異常、甲状腺障害に冒されていることに気づき、事実を理解したそうです。
「放射線だとか放射性粒子だとかプルトニウム粒子だとか、いろいろ名前で呼ばれていけれども、必ず癌の原因となり、私たちの細胞を壊し、遺伝子を狂わせる」
トムさんの怒りのこもった言葉が今も聞こえてきます。
 
ロシア・チェリャビンスク核被害者団体「アイグル」のミーリャ・カビロワ議長は、近隣のプルトニウム工場が1954年に爆発事故を起こし、48万人が被曝し、このうち46万人が避難を余儀なくされたことを報告しました。彼女の父は急性白血病で亡くなったそうです。7人の兄弟姉妹の全員に放射能による何らかの病気が有り、2人は重度の障害があり、3人は遺伝子疾患がある(あった)といいます。兄2人は既になくなっているとのこと。住民の70パーセントが白血病に冒されたとも。被害が明らかになると、政府は住民を避難させましたが、一部は調査(人体実験)のために残し、研究所も建てられたといいます。町は今もストロンチウム、プルトニウム、セシウムで汚染されており、近隣住民は今も外部被曝、内部被曝し続けています。
彼女は言います。「賠償金を求めるのは最後でいい。最初に求めることは、正確な情報と汚染を除去すること」だと。
 
仏領ポリネシアのムルロア環礁から参加したロラン・オルダムさんは、1966年から96年までに193回の核実験、うち43回が大気圏内で行なわれ、環礁の3分の1が沈下してしまったと報告しました。彼は、数年前に日本に50数機の原発があることを知り、ヒロシマ・ナガサキの被爆(曝)者を抱える日本になぜそのようなことがあり得るのかと、衝撃を受けたといいます。
「このままでは世界が続くことはない。これまで長く核兵器廃絶の運動を続けていたが、核兵器廃絶、核兵器廃絶というたびに核兵器を持つ国がどんどん増えている。どうやったら本当に廃絶できるのか、新しい方法を創造していかなければいけないと思う」
最後に語った彼の言葉が印象的でした。
 
マーシャル諸島のアバッカ・アンジャイン・マディソンさんからは、アメリカが1946年~58年までに67回の水爆実験が行われ、多くの住民が健康被害を受け、被害者がモルモットにされたという事実が報告されました。
 
私はこの分科会で、日本以外にも深刻な核の被害が世界のいろいろなところにあることを初めて知りました。いずれにも共通なことは、事実が常に隠され、為政者の都合のよいように調査が行われるということ、そして何よりも核の被害は言葉では語り尽くせないほど甚大だということでした。
福島第1原発の事故の影響も有り、会場には定員を大幅に超えて200人ほどの参加者があったように思います。若い人の姿も目立った分科会でした。
 
開会・閉会総会とも参加者は7800人。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア。ナガサキ」というスローガンに「ノーモア・フクシマ」という言葉が加わった大会でした。あらゆる放射線被害者の根絶をめざす必要性を実感しました。
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